最後のニホンオオカミ

死に至る道

青年ニオが綴る、とある決意までの物語。 ※このブログはフィクションです※

あと327日

 5月8日 天気……電子

 

 家にいて、何をしているか。デジタルの奴隷です。

 Bと、Cと、D。彼らの唱える、就活戦線、異常なし。

 これほどにつまらない会話ほど、有り得ないのでした。雲に一つは見習ったらどうでしょうか。

あと328日

 5月7日 天気……こわいい

 

 我が家の良いところ。それは、布団にいれば、自ずと空を仰ぐこと。外の気を自ずと感じ取ること。

 冬将軍は、どうやら去ったらしい。太陽の寵愛を受け、木々の助けを得た空気は、姦しく薫る。

 だが、空は、これまた季節外れ。紺碧の下に、月白の千切れ雲。なるほど、冬将軍の次は、秋院。雲々は、彼に供される強飯というわけですか。春帝も、なかなかに気が置けない。

 雲は、相変わらず、自由奔放で羨ましい。そして、面白い。

 あれ、なぜ、面白いと思ったのでしょう。

あと329日

  5月6日 天気……黒、本当に

 

 今日、夢を見ました。

  ドッキリの、テレビ番組。そこに、こういう天の声。

 「自分が食われると知らずに遊ばせたら、どうなる!?」

 何人かの子供。彼らは、Xデーまで、ごく普通に過ごす。踊ったり、歌ったり、泣いたり、笑ったり。ごく普通に。

 そしてXデーが訪れる。刃物、それも、大きく煌めく、骨スキ包丁。

 それを目にした子供たちは--

 

 そこで、目が覚めました。

  いやはや、昨日のドッキリ番組の仕業か。

あと330日

 5月5日 天気……凍てつく雲溜まり

 

 困りました。ええ、困り果てています。冷蔵庫の中身が、空っぽです。その中身は、まるで北極のように、どこまでも白い。

 スーパーに行けば良い話。それはわかっています。しかし、冬将軍との争い。その最前線は、さらに後退しているようです。息すらも白く、浮き上がる。増して、空には愚鈍な雲すら、待ち構え、僕らを狙っている。もはや戦場です。一体、どうして買い物になど行けるでしょう。

 しかし、今日という今日は、外に出なければならない。何故なら、課題を出すため、大学に出頭せねばならないのです。であれば、買い物の一つ、してやろうではありませんか。

 

 心なしか、空も、季節が後退してしまったかのようです。はるけき白煙。

 ふと、山の方を省みる。なんと、稲田の境界線に、有刺鉄線が張られていた。

 私有地につき、立ち入り禁止。その文字まで、無常にも僕らを締め出す。

 それまで、自由に出入りできていた場所。残忍な棘が、僕らの自由を奪う。まるで、強制収容所のように。

 はるか彼方に、作業車が見える。自治体の名。ああ、そうか。

 こういうとき、やたらと動きが早いものです。山神様。その祟りは、行政をも動かしてしまう。

 失踪、そして害獣の餌食。そのニュースは、広く報道されました。今やこの辺りは、呪われた地。そうインターネットでは騒がれている。ここまで来て仕舞えば、自治体も黙ってはいないのでしょう。

 おお、恐ろしき山神よ!

 彼は仇なすものに、神罰を与え給う。

 

 

 

 というのは、すべて嘘です。僕は、事前に聞いていました。大家さん、この文脈では地主さん、から。

 不法侵入が後を絶たないこと。困っていること。立ち入りを禁じようと思っていること。行政に協力を要請したこと。すべて。

 件の失踪事件は、偶然。不法侵入をした者が、喰われてしまった。それだけの話。

 神話とは、かくして形成されるのでした。

あと331日

 5月4日 天気……凍てつく雲溜まり

 

 死ぬのが、怖くないかって?

 そりゃ、怖いですよ。すべてが無に帰すわけですから。

 物心付く前、僕らは何かを観ていたでしょうか。答えは、否、です。僕らは原始、暗黒だった。自身がその中にあるとすら気づくことのない、本当の漆黒。そこから僕らは芽吹いたのです。

 であれば、僕らはそこに戻る。そう考えるのが合理的ではないでしょうか。死んで仕舞えば、僕らの軌跡はすべてが失われる。ただ、無かったことになるのです。

 だからこそ、恐ろしい。自分という存在が、この世から消え去る。いま確かに存在しているはずの自分は、闇に紛れて失われる。何より、それを自分自身、知り得ないこと。いや、自分自身という主体すら、霧散し、二度と形成し得ないこと。

 永遠の眠りとは、よく言ったものです。僕らは、眠り続ける。底無しの無を夢見ながら。

 だが、それほどの恐怖にすら、僕は屈し得ないのでした。

あと332日

 5月3日 天気……冬の抵抗

 

 最近、どうも寒くて。春も深いというのに、コートの一つでも欲しくなる、そんな様相です。冬将軍の反乱、でしょうか。どうやら季節の移り変わりというのも、僕らと同様、一筋縄では行かないらしい。

 そうは言っても、冬将軍に、地球の軸までも変えられるほどの力はない。太陽の力は日に日に力を増し、空を、地を、ひたすらに照りつける。

 僕、気づいたんです。春の空が白く霞むのは、もしかしたら太陽の仕業ではなかろうか。陽光があまりに力を強く増すものだから、僕らの目が慣れずに、白く見えるのではなかろうか。

 であれば、夏はもっと白く、輝くはずです。しかし、夏の空を僕は、あまり覚えていません。雲の力強さは、脳にこびりついて離れないのですが。

 

 いつものように、寝室で微睡んでいると、ふと、父の言っていたことを思い出していました。

 父は、どうにも正義感の強い人でした。倒れている自転車を見つけたら、元に戻し。立っている老人を見つけたら、席を譲り。嫌がっている子を見かけたら、止めに入り。そして、自殺に心を痛め、政治家の汚職に怒り、知人の死を悲しむ。そういう、竹のように真っ直ぐな人でした。

 彼は、常々こう言っていました。弱きを助け、強きを挫きなさい、と。彼はこの言葉が、座右の銘であったようです。

 

 弱きを助け、強きを挫く。この精神論を作った者はどうやら、弱い人間らしい。

 例えば、支配階級。彼らは概して、よく憎まれている。しかし、彼らの立場で考えてもみてください。彼らが生まれながらにして待つのは、厳しい教育。終わりのないマナー、教養、それらに青春のすべてを献げる。そして、跡継ぎとして、金、土地、権力、あらゆるものを狙う敵との争い。さらには、階級内での権力闘争。それらに打ち勝ったところで、大衆の反感を買うまい、あるいは大衆を抑えまいと、今度は大衆との戦い。強い人間であり続けるために、彼らは安堵とかけ離れた世界で生きている。

 例えば、経営者。無から、彼らはスタートする。すべてを投げ打って、目の眩むほどのリスクを抱え、それでも彼らは、夢と希望という神を信じて、突き進む。ビジネスを成功させるため、どんな相手にも頭を下げ、意にそぐわない接待を強いられ、市場という見えない敵と対峙し。あらゆる苦悩、葛藤を乗り越え、日々をすべてビジネスに献げ、運をも味方に付け、彼らは経営者としての成功を収める。いや、成功は維持し、育てなければ意味がない。企業が盤石な体制を整えるまで、彼らは自身を投資する。それこそ、人生そのものを。

 強い人間には、強い理由があるのです。

 

 さて、弱い人間は、どうでしょう。強い人間から、何か一つでも、見習ったことがあるのでしょうか。人生を献げ物とし、すべての艱難を抱擁し、剰え、自身に鞭を振るう。そういう生き方を、少しでも考えたことはあるのか。ないでしょうね。

 弱い人間とは、畢竟、自ら望んで弱くなっている。生まれながらの環境、才能、そういった違いはあるかもしれない。しかし、強い人間を、彼らは嘲笑う。私には才能がない、あいつは俺らとは違う、そう言い訳を作って、堕落していく。そして、弱くあり続ける。のっぺりとした日々の、甘い蜜を頬張りながら。

 

 これでも弱きを助ける意味など、一体どこにあるのでしょう。彼らは自ら望んで、弱者でいるのです。

 

 僕は弱い人間でした。生涯を通じて。

 だからこそ、強い人間を尊敬していたい。弱い人間を軽蔑していたい。

 父にも、僕にも、結局のところ、未来などなかったのですから。